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何かを得るために、何かを手放したり失ったりしてきた。
何かを得るためには必要なことだと思っていた。
それでも、何かを得たことによって失ったものの穴埋めになるという単純なプラスマイナスの計算は成り立たない。
そんなことも分からないで、失うことをくりかえした挙句、自分は何を手に入れられたか。
結局、残るのは全ての時間の積み重ねだけであって、その上にのっている自分だけ。

ずいぶん昔に失った人が夢に出てきて、ひどい喪失感に今さら苛まれた。
その人のあらゆるところが好きだった。性格も、笑い方も、しゃべり方も、食べ方も、歩き方も、細くて綺麗な体も。そこまで人を好きになったことはない。
別れたのは自分からだったのに、その人を失った喪失感が、今もこうして湧き出してくる。今後何を得ても、その穴だけは決して埋まらないんだろうと思う。
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嫁に行った姉ちゃん。
家のことを心配して月に一度は帰ってきてくれる。
感謝。


デパートもない。美術館もない。映画館もない。ボーリング場もない。きちんとした図書館すらない。
昔栄えた港の商店街は閑散として、シャッターの閉まってる店が増えた。
若い人は都会へ行き、町を歩いているのは年寄りが多い。

閉塞感。希望の喪失。
他の地方にもあるだろうそういう状況が、僕の住む三浦にもある。

それでも。暖かい冬の海岸は心が澄むし、夕焼けは綺麗だ。
生活に不便だとしても、そういうことを感じられるだけで、ここにいる価値はある。
裸になったとき。体の周りについたモノとかタチバとか、そういうものから離れたときに、人には何が必要なのか。何に幸せを感じるのか。
そういう、シンプルで究極の何かが、もしかしたらその価値の中にあるのかも。


through the glass (3): The misty time axis


through the glass (2): many branched thoughts


through the glass (1)

結局、連絡が来ることは無かった。
彼女は故郷に帰る。木枯らしが吹きすさぶあの町へ。
僕は海へ。さよならを捨てに。


あれほど好きだったローライコードを手放した。葉山での撮影は最後の御役だった。これで中判カメラは手元から全てなくなった(フィルムが3本残ったけど)。
35mmカメラだけ、しかも、(XA2はあるけど)実質的にはM6だけになった。レンズは35mmと50mmを一本ずつ。

写真に対する興味を失っているわけではない。
比較的時間のある今は、写真を撮らない日は無いくらいだ。

それでもM6だけにしたのは、写真を趣味の筆頭に置くのはやめようと思ったからだ。
そういうと語弊があるかもしれない。
写真を趣味という範疇から外して、「当たり前の営み」にしたい。正確にはそういうことだ。
この目的にとって、ライカは最適だと思う。肩肘はらず、人生を写せるような気がする。
これは、後退でもなければ前進でもない。
納まるべき場所に納まった、という感じがする。


数日、ローライコードで葉山を撮り歩いてる。
葉山の良さは、「距離感」だと思う。
人と人、人と海、人と山の距離が、物理的に近い。そして、町の人たちはみんな海も山も愛して、町を大切に守っている感じがする。
そういう町を撮っているのはとても楽しい。






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