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Đi Việt Nam(24)

そういえば猫にはほとんど会わなかったような気がする。
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Đi Việt Nam(23)

ベトナムの軽井沢と呼ばれることもあるダラットへ行くことは、日本を発つ前に決めていた。ただ、このタイミングでダ来たのはベトナムの暑さにいささか参っていたからだ。高原のダラットでも日中は半袖で大丈夫な位暑かったけど、夜は冷えて心地よかった。


Đi Việt Nam(22)

3月6日(日)タイニンをあとにした僕は、HCMで一泊したあと、ダラットへ向かった。
バスに乗って出発を待っていると、助手席に座れと促された。
言われるまま助手席に座ったが、これが間違いだった。
朝7時過ぎに出発。ダラットまでの8時間位の道中、このバスのファンキーな運転手は、ものすごい運転をするのだ。ベトナムでは交通ルールがあってないようなものだけど、彼の辞書には安全なんて言葉は無く、「運転:誰にも負けずに常に追い抜き続けること。決して妥協しないこと。」と書いてあるに違いなかった。とにかく飛ばす。食いながら、携帯電話をかけながら、足を投げ出しながら、飛ばす。見通しが悪かろうが、山の中だろうが、だ。
神に祈りつつ、何とかダラットに辿りついた。



Đi Việt Nam(21)

Đi cẩn thận nhé.
Hẹn gặp lại!


Đi Việt Nam(20)

3月4日(水) 明日タイニンを発つので、Nの家に果物とお菓子をお土産に持ってお礼とお別れを伝えに行った。道中ひどい腹痛で苦しみながら1時間ほど歩いてようやく家に辿り着くと、おばあちゃんがいつもの場所にいて手を振ってくれた。
Nのお母さんに対して何とかベトナム語で伝えようとするものの、上手く伝えられなかった。感謝と別れの寂しさ、それを伝えられないもどかしさが入り交じって、涙がこみあげてきた。本当にタイニンで、Nと家族に救われたのだ。

ちょうどNの従妹が学校から帰って来たので、弟と一緒に前のように遊んだ。
きっと変な日本人がこの家に来たことは忘れてしまうんだろうなぁ。
元気でいてな。


Đi Việt Nam(19)

タイニンでは夕方になると、ときどきスコールが降った。日中の火照りが雨でだんだん冷めていった。
雨が降り出すと、僕はなぜかワクワクした。バイクに乗っている人たちはみんな雨合羽を取り出して、気にせず走っていた。どこからともなく雨合羽売りも現れた。カフェにいる連中は、店を出るのを諦めて焦点の定まらない目で雨を眺めていた。ホテルでは、干していたものを大慌てで取り込みに行く従業員のバタバタという走る音が廊下から聞こえた。

この日は、たまたま外に出ている時に雨が降り出した。僕は傘も雨合羽も持っていないので、少しだけ雨をよけられるところで雨宿りをしていた。ひとりのバイクタクシーのおっさんが交差点の真ん中でバイクのスタンドを立ててまたがり、何をするわけでもなくたたずんでいた。

その日に限って雨は長かった。ほとんど全ての思考を停止して、僕もただそこに立っていた。


Đi Việt Nam(18):さとる

ベトナム語は全く分からない。日本の店なら値段が書いてあるけど、ベトナムの商店や飯屋では値段が書いていないことが多い。だから
「Bao nhiêu tiền?(いくらですか)」
と聞くわけだけど、肝心の返事が聞き取れない。そんな僕のしゃべれなさを見かねたのか、ホテルの隣のカフェで、この写真に写っているおばちゃんの娘(20代前半)がビンゴのような数字を使ったゲームに誘ってくれた。そのゲームでは1~99の数字が次々に発表される。その数字を聞き取って、手元の紙(マス目があって、各マスには数字が書かれている)に石を置いていく。いずれかのライン一列全てに石を先に置けた人の勝ち。最初は全然聞き取れなかったけど、いちいち優しく厳しく教えてくれた。その後、ボクのベトナムでの生活を支えてくれたのは、ここで学んだ数字の聞き取りだった。
ちなみにその子は、写真家の渡部さと○にものすごく似ていた。「さと○」はとても明るい性格で、良い子だった。残念ながら写真は撮れていない。


Đi Việt Nam(17)

3月1日(日) ひたすら町の中を歩き回る。とにかく暑い。16時頃ホテルに戻る前に隣のカフェに行くと、そこの息子(25歳)にカフェに誘われる。カフェ屋の息子なのにカフェに誘うってどういうことだよ。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、バイクに乗ってカフェへ。
ベトナムのカフェは日差しを避ける休憩所でもあるし、夜の社交場でもある。店もいろいろだ。この夜に行ったのは、ちょっと露出の多いウェイトレスのいるカフェだった(健全な店です)。やたら僕を店の女の子に紹介したがるから、彼には目当ての女の子がいて、僕を餌にしているのかもしれない。
そこで働いていた一人の女の子は、ベトナム人にしては長身で、スタイルが良く、顔もすごく綺麗で可愛かった。「背、高いね。」と言うと、コンプレックスだったのか、照れたような、それでいてちょっと怒ったような顔をして行ってしまった。また来るね、と言って店を後にした。サヨナラ、可愛い人。


Đi Việt Nam(16)

2月28日(土) チェックインの際に土曜は満室と言われていたので7時過ぎにホテルをチェックアウトし、別のホテルを探すことに。散々歩き回って、いくつかのホテルを尋ねたが、最初に入った1日120,000ドン(約7ドル)のホテルに決める。新築で清潔、部屋は広く、ホットシャワーもケーブルテレビもついている。フロントは英語を話せないけど、対応は悪くない。シャンプーも石けんもあって毎日補充してくれる。ベッドメークも完璧。それにしても7ドルで商売成り立ってるんだろうか。(結局、ここのサービスはベトナムにいる間泊まったホテルの中で最上級のものだった)
隣にはカフェがあった(ベトナムにはそこら中にカフェがある)。カフェ・ダ(5,000ドン)がめちゃんこ旨い。それ以後、タイニンにいる間1日2回は通っていた。


Đi Việt Nam(15)


Đi Việt Nam(14)

次に入った家が、彼の実家だった。居間にいた二人にバイタクのおっちゃんが事情を説明し終わると、「この人たちだよ」と促してくれた。二人は彼の両親だった。言い知れぬ達成感で、僕はまずバイタクのおっちゃんの頑張りに感謝を込めて軽く包容を交わし、両親と握手をした。彼の弟二人も出て来て、少し英語の分かる次男を介して会話をした。(実は最初、本当に彼の実家なのか確信が持てなかったんだけど、彼の日本での写真を見せてもらってようやく確信できた。)「昼はまだ食べてないのかい?」と聞かれたので、はらぺこだよと答えると、弟が近所のメシ屋に連れてってくれ、僕とバイタクのおっちゃん(!)にごちそうしてくれた。

家に戻ると、研修生として最近まで八王子に行っていたという人の良さそうな男がやって来て、通訳をしてくれた。写真も撮らせてもらって、さて帰ろうかと思ったらスコールが降り出した。バケツをひっくり返したような雨が上がってから、バイタクのおっちゃんとホテルへ踵を返した。

少し冷えた空気が日に焼けた肌に気持ちよく、バイタクに乗りながら、雨に濡れて美しく光る緑色の稲と、遠くに見えるお椀の形をしたバーデン山(Núi Bà Đen)をずっと眺めていた。


Đi Việt Nam(13)

この日もうだるくらい暑く、モトバイの後ろで顔、首、腕がじりじり焼けていくのを感じた。1時間半ほど乗っていただろうか。住所の地名に辿り着いた。今度は友人の実家を目指して、おっちゃんがその辺の家に入って捜索活動を開始した。しかし、聞けども聞けども分からない。友人の書いた住所は不正確だったのだ。僕は持ちうる、そして伝えうる全ての情報(日本に研修生として行っている、元警官、バレーボールをやっている、長身)をモトバイのおっちゃんに伝え、捜索の手立てにしてもらった。
その後も、聞いては移動し、聞いては移動しを繰り返すが見つからない。もうすでに13時を回っていた。喉がカラカラだったので、「カフェで休憩でもしよう」と伝え、それらしき店に立ち寄った。僕はもうほとんど諦めていて、この辺りで写真を撮って帰ろうと思っていた。
カフェには先客のおっちゃんたちが3人ほどがいた。モトバイのおっちゃんは仕事熱心で、彼らにも尋ねてくれた。すると、そのうちの一人が何やら有力情報を伝えたらしく、モトバイのおっちゃんは手応えを掴んだようだった。何も飲まずに僕にヘルメットを渡すと、バイクは再び走り始めた。






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